なくなっていくもの
わたしが好きで繰り返し食べていたものがあって。
近所の、カンカンっていう中華料理屋の、天津飯。
お母さんも大好きでいつも行く度に今日は違うの食べようかなーとか言いながら、結局頼んでいた。お母さんが、結局いつものねぇ、なんて、楽しそうに笑っていた。
身体が小さいわたしは、お母さんと一緒の天津飯を頼んでも、いつも食べきれなかった。
そのくせ中華スープはお兄ちゃんのを横取りしたりして2人前飲み干していた。
身体は小さいままだけど、ぐんぐん成長したわたしが、一人前を食べ切ると、あら!珍しい!一人前食べれたね!なんて褒めてもらって、お母さんがお父さんに、今日ね、彩乃が天津飯一人前食べたのよ!なんて嬉しそうに話して、お父さんもすごいねー彩ちゃん!なんて言って顔をくちゃくちゃにして喜んでくれて、わたしも、まぁねぇ〜みたいに得意げになったりして。
近所の、ねのひっていうお惣菜やさんの五目ご飯も好きで。好きなだけプラスチックの容器に詰めて、結局食べれないんだけど。
妹が産まれるとき、お父さんとお兄ちゃんとわたしで、よく行っていて、五目ご飯以外もあったはずなのに五目ご飯ばかり食べて五目ご飯の記憶しかありません。
今は。
カンカンはパチ屋の下敷きになっていて、ねのひは多分コンビニとお葬式場の下敷きになっている。
わたしがその道を通る時だけ生き返る。
天津飯も、帰る時にもらえる飴ちゃんも。仲良くおしゃべりして帰る帰り道も。五目ご飯も、お父さんも、お母さんも。
くるっと一周しました。
次は、さくらちゃん。