「あたらしいまち」に込めた思い
こんにちは、かしやまです。
このたび、新団体「あたらしいまち」を立ち上げました。
これまでは主に「孤独部」というぼく一人のユニットで活動してきました。メンバーとともに活動していきたいと思って、春あたりから準備してきました。
名前を「あたらしいまち」とつけました。
今日は、なぜそのような名前にしたのかを書きたいと思います。
あたらしいまちへ行きたい
一つ目は、「もっといろんなまちへ行きたい」と思ったから。
(gate#14 孤独部「未来の話をしようよ」舞台写真)
昨年の9月に、京都に3泊4日滞在して、作品をつくる機会がありました。
そのときはじめて、別のまちで寝泊まりしながら、そこに住む人と作品をつくるという経験をしました。
町並みも、方言も、会話にのぼる演劇の話も、テレビのチャンネルも違う。新鮮でした。
別に、全く知らない世界に行ったわけではありません。京都です。車でも名古屋から2時間ほどで行ける場所。なのに、こんな体験ができたことに驚きました。
もっといろんなまちへ行ってみたい。わたしにとっての「あたらしいまち」に出会いたい。まずこれが、一つ目。
暮らしてるまちへの思い
二つ目は、自分が生まれ育ち、今も暮らしてるまちへの思いから。
ぼくは、愛知出身。今は名古屋に住んでます。
東京に行けば、"東京らしさ"を、大阪に行けば"大阪らしさ"を感じます。先の京都でも"京都らしさ"を感じました。
(写真は京都)
けれど、自分が住んでいるこの名古屋というまちの、"名古屋らしさ"は、あまりよくわかりません。
それは、自分がずっと住んでいるからなのか、それとも外から見たことがないからなのか。
名古屋は見どころのない街だというのを、ときどき耳にします。
京都での滞在制作のあと、つまり昨年の秋に「プロに学ぶ演劇講座」の講師をはじめてつとめました。(今2年目をやってます)
そこで、年齢も様々なメンバーと作品をつくりながら、ここ名古屋とはどういうまちなのだろう、ということに思いを馳せていました。
今思っていることは、名古屋は「暮らしのまち」ということ。
名古屋(愛知、あるいは東海地方まで拡大できるかも)は、進学も就職も地元志向の人が多い印象があります。それはきっと、このまちが暮らしやすいまちなのだろうと思います。
よそからみたら「なにもないまち」かもしれないけれど、そんなまちで生まれ育ってきたじぶんが、このまちで"演劇"というローカルな(足を運ばないと観れないので、演劇はとてもローカルな媒体だと思います)ことをやっていることについて、ときどき考えます。このまちでつくり発信することについて、より考えていこうと思いました。
というわけで、自分が生まれ育って暮らしてる、このまちについて、もっと知りたいし考えたい、というのが2つ目。
あたらしくなっていくまちの、あたらしい文化とは
最近、名古屋駅前は再開発で、新しいビルが立ち並びました。
世間では、東京オリンピックやリニアモーターカーの話題が出ていたり。
小さい頃に比べて、すこしずつ街並みが変わってきているのを、感じるようになりました。
21世紀になって、もう15年が経ちます。
まだ空飛ぶ車も宇宙旅行も実現していなくて、小さい頃に夢見た感じじゃないなぁ……と思うのですが、インターネットが普及・発展したり、携帯電話もびっくりするほど高性能になりました。
一方で、なんとなく暗いニュースばかり目についたり、先ゆきが明るく思えない風潮があるような気がします。
あたらしくなっていくまちで、あたらしく育まれる文化はどんなものなのか。あたらしくなっていくまちに暮らすぼくらは、どんな未来を描けるのか。
これまでのぼくの作品は、個人的で内向きなものが多かったのですが、「あたらしいまち」では、個人の生活をよりどころとしながらも、まちや時代というものに目を向けた作品をつくっていきたいなと思っています。
あたらしいまちとしての初の作品「流れる雲を見ていた」は、宇宙とインターネットをきりくちにしています。
わたしたちの"今、ここ"を俯瞰的に見つめ直すような、そんな体験にできたらと思っています。
チケット予約、受付中です。
ぜひ「あたらしいまち」の第一歩、ご覧いただけたらと思います。
このブログでは、メンバーに日替わりで日々のちょっとしたことを書いてもらっています。
今週からは、お題を設けてみようと思います。
今週は、「インターネットの思い出」。
おたのしみに!